補欠の高校球児が、フリースタイルでアジアのベスト8になるまで

2015年にアジア大会「AFFC」でベスト8、2017年に日本一決定戦「JFFC」でベスト4という実績を残しているふじ。フリースタイルフットボールでは日本とアジアのトップレベルに位置している彼だが、中学から高校までプレーしていた野球では華が開かず。

サッカー経験を約1年しか持たないふじは、いかにしてフリースタイルフットボールでアジアのベスト8に輝いたのか。その経緯と、バトルに懸ける想いを探った。

 

高校球児からフリースタイラーへ

小学2年の時にサッカーを始めたふじだったが、「練習に行くのが嫌だった」という理由で、わずか1年でサッカーの道を閉ざした。身体を動かすこと自体は好きだったものの、その後は中学までスポーツを習うことはなかった。

中学からは家族の影響で野球を始め、高校卒業まで6年間に渡って続けていた。高校の野球部は千葉県でベスト8に入るレベルだったが、ふじは補欠でベンチに入ることすらできなかった。

「高校時代はすごく悔しかったですね。当時は新しいことを始めて、上手くなりたいと思っていました」

 

フリースタイルフットボールに出会ったのは、そんな悔しい思いをしていた高校時代だった。ある日、野球部の知人に携帯電話で(※)トゥーザニの動画を見せてもらったことがきっかけとなった。

もともと部活の合間にリフティングを練習していたふじは、その動画を見てすぐに「やってみたい」と感じたという。

※トゥーザニ・・・Touzani ATW(日本ではSwirl ATW、通称Sアラ)を世界で初メイクしたレジェンド

 

フリースタイルフットボールを本格的に始めたのは2005年で、時期的には横田陽介(Ball Beat Crew)が始めた直後だった。

「始めた時はまだ大会やイベントがほとんどなくて、上手いフリースタイラーも少なかったですし、だからこそ続けられた気がします。今始めるとしたら周りに上手いフリースタイラーばかりで、やろうとも思わなかったかもしれないです

 

当時はいわゆる“ガラケー時代”で、フリースタイラー同士の交流は「フリースタイルフットボールフォーラム」という掲示板で行われていた。

ふじは高校卒業後、消防士の道を志して消防学校に入学した。そして、掲示板で見つけたJAM(練習会)の開催地の近くに、たまたま消防学校の旅行で訪れていたため、そのJAMに参加することとなった。

「本当にやっているのか不安でしたけど、行ってみたら動画で見ていたフリースタイラーがたくさんいました。芸能人に合う感覚に近かったですね(笑)」

 

その後はフットサル大会の余興として行われた大会に参加し、初めてバトルを経験した。5人ほどしか集まらない小規模な大会で、優勝を果たしたのは横田陽介だった。

横田陽介はふじの同年代で、前述の通り始めた時期も近かったが「実力が抜きん出ていて、かなり大きな存在だった」と、当時を振り返っている。

 

アジアの舞台で優勝候補を破りベスト8に

2008年にはRed Bull Street Styleの日本予選に出場し、初の大舞台を経験した。5年後の2013年にも再び同大会に参戦し、決勝大会に進出する40人を決める動画予選を戦ったが、予選敗退に終わった。

当時、ふじはプレーヤー歴が7、8年に達していたが「自分よりも経験の浅いフリースタイラーに負けたことがかなり悔しかった」という。その悔しさを経て、ふじは自分の武器を模索し始める。

「エアームーブが上手いわけでもなかったので、他の何かに特化しようと考えました。いろいろなフリースタイラーの動画を見ていたら、足の裏にボールを乗せるスタイルの外人がいて、参考にしてみました」

 

そして、ふじのストールを中心としたスタイルが出来上がった。ちなみに、ふじはバトルでシッティングを多用しているが、シッティングに関しては「海外ではAddullah、日本ではYamatoが好きだった」とのことだ。

出典:JoseAndCardona – ¡Ñarders May Cry!

出典:Yamato Iizuka

 

2014年には小規模ではあるものの、2大会で優勝を果たし、徐々に成果が出始めた。そして、2015年にはJFFCでベスト16、その後のAFFCでベスト8と、国内外のビッグな大会で好成績を収めた。

特にAFFCでのベスト8進出は快挙だった。トップ16で対戦したAkbari(イラン)は、前年のAFFCで準優勝、北京で行われた国際大会では優勝と、実績豊富なアジアの強豪で、優勝候補にも挙げられていたのだ。

 

その後は準々決勝で日本のKo-sukeと対戦し敗れたものの、やはりジャイアントキリングの反響は大きかったようだ。

「Akbariは僕のことをなめているだろうなと思ったので、ぶっ倒してやろうと思っていました。現地(インドネシア)で仲良くしてくれた選手も喜んでくれたし、帰国後も周囲からの反響は大きかったです。

準々決勝ではKo-sukeにボコされましたけど、お前が優勝できたのは俺がAkbariを倒したおかげだぞ、と冗談で言っておきました(笑)」

出典:Ho Jia Wei

 

フリースタイラーとしての目的は「勝つこと」

翌年の2016年にもAFFCに出場したが、トップ16で前年準優勝のPWG(フィリピン)に敗れた。しかし、ふじ自身は「勝った感覚があった」と振り返る。

PWGは簡単なフローでしか攻めてこなかったですけど、僕は出し切れた自信があったので」

 

同大会はフィリピンで行われたが、(※)F3の会長を務めるLucasoも会場に足を運んでいた。ふじは当時のジャッジについて、Lucasoに直接意見を求めたところ、不可解な答えが返ってきたという。

※世界フリースタイルフットボール連盟。現在はWFFA(世界フリースタイルフットボール協会)に改名

 

「Lucasoは『トップ16で全力を出す選手は少ないし、ジャッジは現役の選手たちなので、その人が勝ち進んだ後にどれだけ戦えるのかも考えてジャッジしている』と言っていました。僕はそれならばバトルをやる意味がないとブチギレそうになりましたも。

バトルは生物だし、その場でどちらが良かったのかをジャッジするべきで、誰がどのくらいできるかは全く関係ないので。こっちは人生をかけてやっているので、納得はいかなかったです」

PWGは最終的に決勝へ勝ち進み、日本のYoを下して優勝を果たした。仮にふじがトップ16でPWGを下していれば、2年連続でのジャイアントキリングを達成できただけに、悔しさは隠しきれないだろう。

 

ふじは金や名声のためにフリースタイルフットボーラーとして活動しているわけではない。

「僕は上手くなって大会で勝ちたいという想いでフリースタイルフットボールをやっています。仮に日本一や世界一になったとしても、その後のことは全く考えていないですし、大会で勝つことと、ボールコントロールを生涯かけて追求することが目的です」

それだけに、大会の規模を問わず、1度でもバトルで負けた相手に対してはリベンジしたい気持ちが強いという。その勝ち負けへのこだわりの背景には、学生時代に味わった悔しさも影響しているのかもしれない。

31歳となった今でも、彼は更なる高みを目指して日々スキルアップに励んでいる。

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投稿者プロフィール

Hiromu Tanaka
Hiromu Tanaka
中学生からフリースタイルフットボールを始め、大会やパフォーマンスなどに積極的に参加。現在はフリーランスで、スポーツを中心に様々なWebコンテンツを配信。JF3の運営をはじめ、フリースタイルフットボール界を盛り上げるべく、多岐に渡る活動を行っている。

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